妥協

私は普段から気力が出なかったり、マルチタスクが苦手だったりする。

気力に関しては、酷い日は横になりながらスマホで文字を入力することも困難だが、幸い最近はその頻度も減ってきた。医学的には双極性障害2型とADHDという診断になっている。

ここではあえて「双極とADHDのせいでこういった症状が出ている」と書かなかった。どうも診断結果を理由に自身の状態を正当化することに違和感を覚えてしまうのでこういった書き方をした。

上の発言も、これから書く内容もあくまで個人的な意見かつ自分自身にしか適用するつもりはないことは断っておく。他人の批判ではない。

病名はあくまで症状を当てはめたものに過ぎないと思う。つまり、病名ではなく症状が最初にあるべきだと考えている。そういった考えを持っているので「[診断名]のせいで[症状]が出ている」ということは(私の中の考えでは)適切ではない。

しかし、一定数の人は「[診断名]のせいで[症状]が出ている」ような発言をする。これは診断名を使うことによって他者への説明を減らすことに事に一役買っていると思われる。そして「精神医学」に対する一種の権威と学問を利用している側面もあると思う。確かに、他人に認められていれば自身のことを受け入れやすくなることがあるのも一理ある。

ただ、私は学問と権威によって正当化された症状を発症している現実を受け入れられないでいる。「双極だから陰性症状が出ることも仕方ない」などと受け入れられれば楽なのだが…。

私が健常者のふりをしがちなのは、他人に異常者だと思われたくない、というのが実のところ1番の理由だとは思うが、上のような理由もあると思う。最近は健常の「ふり」すら出来なくありつつあるのは別の話。

症状を含む自分の特性を受け入れて、理想を妥協できる日が来るのだろうか。

そもそも「妥協」などと思っている時点で何かが間違っているのかもしれない。

 

久しぶりに文章を書いたら予想通り支離滅裂になってしまったが、これからブログを書いていくことで改善していきたい。